『姫路藩の河合道臣による財政改革』江戸時代から経営改善のヒント③
新事業開発を中心とした穏便な手法での財政再建
姫路藩は地理的にも西国大名の抑えとなるため、徳川家の親藩・譜代大名の中でも有力な家が入れ替わり配置されてきました。
徳川四天王の本多家や榊原家、親藩筆頭の結城松平家が入封しています。
最終的には四天王ではないものの大老や老中を輩出する雅楽頭酒井家が姫路に転封してきます。
河合道臣は酒井家に1,000石で仕え代々家老を務める家柄です。21歳で家督を継ぐと家老となり藩政改革に取り組みます。
姫路藩の表高は15万石ですが、池田輝政が52万石の時代に建てた姫路城を抱え、徳川譜代の名門として幕政に携わることも多く、想像以上に出費がかさみました。
さらに天明の飢饉など天災も重なり、姫路藩2代藩主酒井忠以のころには、73万両もの借財を抱えることになります。
道臣は反対派の圧力により失脚しつつも、藩財政の改革を進めていきます。
破産寸前の姫路藩の財政状況
姫路藩は表高15万石とされていましたが、瀬戸内海に面した温暖な地域ということもあり、比較的物成りの良い土地を多く抱えています。
表高の2割増しの税収があると言われていましたが、酒井家の入封の直前まで飢饉が続いていたため、米の生産力はかなり落ちていたと思われます。
明確な年貢率は不明ですが、酒井家が転封する前に大規模な一揆があった事からも、6割以上はあったかと思います。150,000×0.6=90,000石となります。
藩士など支払う俸禄を引くと、藩や藩主が使える分は約半分ほどで45,000石ほどだったようです。
一方で借財は73万両あったと言われており。
そして、当時は1石=1両だったと言われていますので、利息を考えずに元本を返済して、下記の計算のように約16年も掛かるという状態でした。
730,000両÷45,000石≒約16年
道臣は新事業開発を中心に財政改革に取り組んでいきます。
姫路藩ならではのつの施策
道臣の主な施策を箇条書きにすると下記の5点になります。
- 事業改善
- 新事業開発
- 流通改革
- 設備投資
- 人材育成
1.事業改善
収入の基本となる米による年貢の増収を目指し、姫路藩ではそれまでも新田開発が活発ではあったが、播磨灘沿岸での開発に力を入れた。
また開発された新田については年貢を減免する制度を設けて、開発を推進させた。
非常時用の備蓄米の倉庫を設置し、平時においては米を低利で貸し出すなど、領民の生産活動を活発化させています。
2.新事業開発
高付加価値が望める朝鮮人参やサトウキビなど特産品の栽培にも注力させています。
また、後に主力商品となる木綿を専売としています。
また塩、皮革、竜岩石、鉄製品なども専売化し、増収に貢献していました。
3.流通改革
加古川流域で採れる木綿は、白く薄手で柔らかいという高い品質のものでしたが、大阪を介して販売していたため売値が高くなっていました。
そこで大阪を通さずに、江戸へ直接販売を開始したことで、品質の良さと値段のバランスから高い評判を得て、「姫玉」「玉川晒」と呼ばれるブランド力を獲得しています。
4.設備投資
物流を活性化するために、姫路藩が有する飾磨港など港を整備しています。
また姫路城下に小麦粉や菜種油などの各地の特産品が集まるようにし、藩内での商業活動の活性化に努めています。
5.人材育成
既存の藩校とは別に、仁寿山黌という私塾を設けて、頼山陽など国学や漢学、医学の著名人を講師として呼んでいます。
新規事業など事業収入の増加による藩政改革
道臣は借金の無謀な減額や利息の踏み倒しをせず、元本と金利の弁済を行いながら、財政改革に成功しています。
成功の大きな要因として、特産品である姫路木綿の専売化と、江戸という大市場への直売があります。
また、藩内における商業の奨励や領民の生活力の向上など地道な改革を行っています。
道臣の施策は極端な負担を強いることがなかったため、専売化や新田開発による税収の増加もありながらも、27年という長い時間を掛けて借金の返済を終えています。
藩政改革の中でも非常に穏便な手法で成功した事例だと思います。
モリアド代表 中小企業診断士
前職にて企業の海外WEBマーケティングの支援に従事。独立後に中小企業診断士の資格を取得し、主に企業の経営サポートやWEBマーケティングの支援等を行っている。
2019年から、現代のビジネスフレームワークを使って戦国武将を分析する『戦国SWOT®』をスタート。
2022年より、歴史人WEBにて『武将に学ぶ「しくじり」と「教訓」』を連載。
2024年より、マーケトランクにて『歴史の偉人に学ぶマーケティング』を連載。
著書に『SWOT分析による戦国武将の成功と失敗』(ビジネス教育出版社)。