【戦国でSWOT】剣術に付加価値を加えて差別化し、浪人から大名にまでなった柳生宗矩

剣術に禅の精神性・思想性を加えて差別化した柳生宗矩

柳生十兵衛が有名な柳生家は、現在の奈良市の柳生町周辺にあった柳生庄の土豪として、戦国時代には松永久秀の配下として、大和国内の戦などで活躍していました。

しかし、松永久秀の滅亡を経て、不運にも豊臣政権時代に領地を召し上げられ、父の柳生石舟斎は浪人にまで没落したと言われています。

それから15年の間、石舟斎は再仕官する事もないまま、ただひたすら剣術を磨いたようです。

その後、黒田長政を通じて、徳川家康や毛利輝元に剣術の腕前を認められて、豊臣政権の有力者達を指導をするようになりました。

そして、息子の柳生宗矩が、徳川家に200石で出仕する事となり、柳生家は浪人身分から脱出しました。

家康に仕官した柳生宗矩は、関ヶ原の戦いにおいて大和国の豪族を徳川方へまとめるなどの活躍で信任を獲得し、秀忠の兵法指南役となるなど、将軍家との繋がりを強くしていき、最終的には1万2,500石の大名となります。

柳生家の物語は、外部環境の変化で事業を縮小したものの、その後、自社の強みを磨き差別化を究めて、生存競争の激しい市場での生き残りに成功する中小企業の姿を彷彿とさせるものがあります。

今回は、柳生新陰流という剣術を極めて大名として成功した柳生宗矩について考察したいと思います。

剣術に特化し技術を磨いて口コミを広める

戦国から江戸にかけて、領地を召し上げられて無禄となった武士の多くは、どこかの大名の元へ再仕官するか、そのまま帰農するかのどちらかだったと思います。

しかし、剣聖の上泉信綱から新陰流を学んだ父の石舟斎は、どこかへ仕官したという記録が残っていないようなので、息子の宗矩とともに、自身の強みである剣術をただひたすらに磨く事に専念したようです。

そうして、新陰流の「無刀取り」という、刀を持たずに相手の刀を制する技を習得したようです。

この技の噂が口コミで自然に広まったのか、意図的に広めたのかは不明ですが、黒田長政を通じて徳川家康から招かれます。

その面前にて「無刀取り」をデモンストレーションし、その技術の凄さを目の当たりにした家康は、息子の柳生宗矩を200石で召し抱える事にしました。

新陰流の「無刀取り」を習得する事で、無数にいる兵法家との差別化に成功し、その技術力の高さが口コミで広まり、クライアントである大名家に採用される流れは、現代のブランディングやマーケティングに相当すると思います。

柳生家は、その強みである剣術を究める事によって、浪人身分から脱出でき、ぎりぎり下級旗本になる事ができました。

しかし、宗矩は、ここで満足することなく、さらに剣術に付加価値を加えて差別化を図ります。

剣術に精神性・思想性を加えて差別化を図る

宗矩は、関ヶ原の戦いで、大和国内の豪族などを徳川方へとまとめるなどの戦功により、柳生家の代々の所領を取り戻す事に成功し、2,000石の上級旗本になりました。

その後、第二代将軍徳川秀忠の兵法指南役となった事で、将軍家ご用達の流派としての地位を確立します。

引き続き、第三代将軍家光においても兵法指南役となり、さらに信任を深めていきます。

しかし、そのころには、戦の無い平和な時代へと転換してきて、甲冑を着た敵を倒す技術である剣術にも、大きな転換が必要となってきました。

その世相を感じ取ったのか、宗矩は有名な禅僧である友人の沢庵和尚を通じて、新陰流に禅の精神性や思想性を加えて、戦国の剣術から平時の武道への昇華を図ります。

有名なのが「剣禅一致」で、これは沢庵和尚が宗矩に禅の心構えを踏まえて「剣術の究極の境地は、禅の無念無想の境地と同じであるということ」と説いたもので、これを自身の剣術の考えを重ね合わせて将軍家御流儀としての柳生新陰流の兵法思想を確立しました。

この宗矩の姿勢を高く評価した第三代将軍家光は、生涯、宗矩のみを兵法指南役とし、「天下統御の道は宗矩に学びたり」と語るほどに深い信頼を寄せました。

こうして、優れた剣術という技術力の上に、精神性・思想性という付加価値を加えて、他の流派の剣術との更なる差別化に成功し、江戸幕府内において確固たる地位を確立しました。

<江戸時代の剣術のポジショニングマップ(独断と偏見です)>

そして、この精神性・思想性は、現在の剣道などの武道にも引き継がれていきます。

また、宗矩は官僚としても有能だったようで、幕府で初代大目付に就任し数々の功績を上げ、最終的には1万2,500石の柳生藩を立藩しました。

将軍家はもちろん大名・旗本からも畏敬の念を持たれる存在だったそうです。

まとめ

一介の浪人が剣術に特化する事は、よくある話だと思いますが、そこに禅の精神性・思想性という付加価値を加えて、他を寄せ付けないほどの差別化を図った点が、柳生宗矩の凄さだと思います。

刀を使った殺人を目的とした武術を、人間性を高めるための武道へと発展させた点は、現代における商品やサービスの開発の参考になりそうです。

既存の商品や技術力に、デザインやストーリーを加味して、他と差別化されたものへ再生させるようなイメージかと思います。

そして、剣術だけで身を立てて、小規模ながらも大名にまで上り詰めたのは、江戸を通じて柳生宗矩の柳生家のみなので、その凄さが際立ちます。

また、数多くの門弟を育てて、各地の大名に剣術指南役として派遣をしている点も、どこか現代のビジネスに通じる点があるように感じます。

この全国の大名家の内部に食い込んだネットワーク力による情報網が、柳生新陰流の大きな強みにもなります。(情報収集やスパイ活動など)

柳生宗矩は、強みを活かして、さらに新しい強みを生み出していきました。

この点を見ると、現代でも優秀なビジネスマンとして、または優秀な二代目社長として通用する気がします。

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